レヴィ=ストロース 『悲しき熱帯』 上・下 川田順造訳 中央公論社 1977

 西欧近代は、かつて、普遍的な真理を独占していた。宗教であれ人権思想であれ、ヨーロッパ世界は唯一、真理を握り、人類を代表していると思い上がっていた(まだそれにしがみついている人がいるかもしれないが)。レヴィ=ストロースは、しかし、その真理が「制度」の一つにすぎないのだということを喝破した。西洋のまなざし(主体)にこだわらず、あっちこっち視座を移し変えながら世界を眺めてみれば、よくわかる。どの視点からも直接見ることはできないけれど、それらの彼方に構造は浮かび上がってくる。

 初期の人類学は歴史主義とか伝播主義とよばれる進化論的史観だった。社会は未開の段階から徐々に進歩して、最終的に西欧近代に至る。資料は殆どが二次資料で、この頃の論文には色々な致命的誤りが認められる。とはいえ、フレイザーやローウィーの仕事には目を瞠る。
 これに反旗を翻したのが、1920年代も終わり、マリノフスキーである。彼以降の人類学者は現地調査が基本になる。彼は、未開社会も社会である以上、ある程度のまとまりを持っていると考えた。一見無用と思える制度も、何らかの役に立っているはずだ、というのである。この学派は機能主義とよばれる。

 だが、結局、機能というのは西欧的発想にすぎない。レヴィ=ストロースにとって、それは余りに不十分であった。むしろ逆に、西欧思想を揺るがすような方法を原住民を通して獲得していく道を、彼は選択する。
 例えば、文字。文字を持ったことは、過去をより明確に意識することを、したがって、現在と未来により大きな可能性をもたらしたように思える。この文明と野蛮を区別する規準はしかし、ちっともそのようなものではないのである。人類にとっての最大の巨歩は、農耕、動物の家畜化その他技術を生んだ新石器時代といえようが、新石器革命当時、文字はまだ知られていなかった。代わって、文字発明以後から近代科学の誕生までに目を転じる。だが、ギリシアローマ市民の生活様式と18世紀ヨーロッパの有産階級の生活様式のあいだにたいした違いはないのである。文字を持ちながら、西洋の諸文明は長く停滞してきたのであり、知識は増大したというよりはむしろ波動していたのである。文字の出現に忠実に付随していると思われる唯一の現象は、都市・帝国の形成とそこに所属する成員の階級への位付けである。つまり、文字は知識を強固にするのに十分でなかったにせよ、支配を確立にするために、人間の搾取に便宜を与えるのに不可欠だったといえる。
 もう一つ、今度は食人を考えてみよう。多く、食人の諸形態は呪術的な理由に基づいている。例えば、死者の徳を身に着けるためであったり、また、敵である死者を無力化するためであったりする。対して、そうした食人に対する非難も、食人の形態如何によらず、劣らず宗教的なものである。それは例えば、死体の既存によって危うくされる肉体の甦りへの信仰か、あるいは、霊魂と肉体の結びつきの肯定である。非難が立脚する信念と食人を行う名目となる信念とは同じ性質のものである。
 このアントロポファジー(人間を食うこと=脅威を食うことで無力化/活用)とアントロペミー(人間を吐くこと=脅威を隔離して社会体の外に追い出す)との二項対立に何ら問題がないとはいえないが、西欧の知のシステムを相対化するのには役立つだろう。

 先住民は、西欧式の思考道具をもってはいない。しかし、考えるのに便利な自然の事物をつかって、つまりブリコラージュして、さらにいえば野性の思考に支えられて、彼らを取り巻く宇宙について考えているのだ。レヴィ=ストロースはそのことを、パースペクティブからキュビスムへと進んだように、それともユークリッド幾何学から射影幾何学位相幾何学が誕生したように、構造をつかって示したのだ。