田中修 『雑草のはなし 見つけ方、たのしみ方』 中央公論新社 2008

 写真が死を引き受ける装置であることを述べたのはロラン=バルトであったが、生のヒガンバナは、一瞬を鮮烈に切り取り、不動にする。 日本人はこの花に実に多様な呼び名を与えたが、それらの一部を覗いてみるならば、彼らが抱いた感情の一端を窺い知れよう。

 ソウシキバナ、ハカバナ、カジバナ、ユウレイバナ、シビトバナ

 他方、その学名は lycoris radiata であるが、lycorisはCytherisというローマ時代の女優の名前に因む。西洋の与えた美しい印象に比すると、グロテスクな和名。

 多くの生物は、両親から1組ずつの染色体を受け継ぐ。それらを2分割して生殖細胞がつくられる。しかし、日本のヒガンバナは三倍体であり、3組の染色体を持つ。そのために、有性生殖不能である。代わりに、球根による無性生殖(栄養生殖)で繁殖する。つまり、クローン、ということである。日本に生育するものならば、花の大きさも色も背の高さも、同一の属性を有し、斉一に花咲き乱れる。
 ひとびとは死を、この同一性によって担保していたのであろう。毎年同じ時期に、同じ姿を、その場所で見せるその花々に。冷凍保存された生が状況証拠になり死を否認しつつ、同時に引き受けるしかない。
 ヒガンバナが宗教的象徴的な受容体の役割を演じるならば、この赤い花は曼珠沙華と呼ばれるに相応しい。